人間として何が正しいか
ー京セラフィロソフィの原点ー
創業当初、私はいかに経営していけばいいのか、何を基準に
判断していけばいいのかわからず困り果ててしまいました。
しかし、どうせ自分は経営を知らないのだからと原点に戻り、
「人間として正しいことなのか、正しくないことなのか」、
「善いことなのか、悪いことなのか」を基準に判断することに
したのです。
矛盾があったり、理屈に合わなかったり、また一般に持って
いる倫理観やモラル、そういったものに反するような経営では
決してうまくいかないだろうと考えたからです。
経営の経験はないけれど、正・不正や善・悪などは、最も基
本的な道徳律であり、子どものころから両親や学校の先生に教
えてもらっていたことなどで、私にもよくわかっているという
自身がありました。
こうして「人間として何が正しいか」という最も基本的なこ
と、つまり「原理原則」を判断基準として経営を始めたのです。
『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』より
ー京セラフィロソフィの原点ー
創業当初、私はいかに経営していけばいいのか、何を基準に
判断していけばいいのかわからず困り果ててしまいました。
しかし、どうせ自分は経営を知らないのだからと原点に戻り、
「人間として正しいことなのか、正しくないことなのか」、
「善いことなのか、悪いことなのか」を基準に判断することに
したのです。
矛盾があったり、理屈に合わなかったり、また一般に持って
いる倫理観やモラル、そういったものに反するような経営では
決してうまくいかないだろうと考えたからです。
経営の経験はないけれど、正・不正や善・悪などは、最も基
本的な道徳律であり、子どものころから両親や学校の先生に教
えてもらっていたことなどで、私にもよくわかっているという
自身がありました。
こうして「人間として何が正しいか」という最も基本的なこ
と、つまり「原理原則」を判断基準として経営を始めたのです。
『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』より