フィロソフィにつかる
フィロソフィを体得すりには、日々、どのような判断をすべきかを
考える習慣を身につける以外に方法はありません。
フィロソフィ手帳も、ただ携帯しているだけでは無意味で、機会ある
ごとに繰り返し読まなければ意味がありません。
常に自分が「フィロソフィにつかっている」という状況が大切なの
です。
私の自宅のベッドや机の周りには常に、宗教や哲学に関する書物が
何十冊と積んであります。思い立った時には、いつでもそれを手に
取って読む。そうして、私は自分を常にフィロソフィの中につからせ
ているわけです。そのように、常にフィロソフィにつかっているとい
う状態を維持していかなければ、実際に判断する際、常識にとらわれ
ないで、物事の本質を見て判断するということはできません。
京セラ社内報「敬天愛人」第152号(1994年8月)より
フィロソフィを体得すりには、日々、どのような判断をすべきかを
考える習慣を身につける以外に方法はありません。
フィロソフィ手帳も、ただ携帯しているだけでは無意味で、機会ある
ごとに繰り返し読まなければ意味がありません。
常に自分が「フィロソフィにつかっている」という状況が大切なの
です。
私の自宅のベッドや机の周りには常に、宗教や哲学に関する書物が
何十冊と積んであります。思い立った時には、いつでもそれを手に
取って読む。そうして、私は自分を常にフィロソフィの中につからせ
ているわけです。そのように、常にフィロソフィにつかっているとい
う状態を維持していかなければ、実際に判断する際、常識にとらわれ
ないで、物事の本質を見て判断するということはできません。
京セラ社内報「敬天愛人」第152号(1994年8月)より