経営はマラソン
私はよく企業経営をマラソンに例える。昔はラジオ、今はテレビで
マラソンの実況を聴いたり見たりするのが大好きなのだ。
戦争に負けた日本の企業マラソンレースは昭和20年(1945年)
に再スタートを切った。戦前から長く続く大企業などはいわば有名選
手で、戦後、タケノコのように出てきたヤミ商人らは無名のランナー。
旧財閥系も含め、有名、無名の選手がいっせいに企業戦争という長丁
場のレースを走り出した。
私の京セラは1959年の創業であり、すでに先頭集団がはるか
14キロ先を走っている。そんな時にようやく出発地点に現れたとい
う格好だ。しかも長距離にはまったくの素人が、貧乏でシューズさえ
買えず、地下足袋に股引のみすぼらしい姿である。
これまで一度も走ったことがないのに、いきなり42.195キロ
を完走できるのか。本人にもわからないのだが、闘争心だけは人並み
はずれておう盛だ。出場を決めた以上、全力を尽くそうと悲壮な決意
を固めている。なにしろ、資金なし、人材なしの裸一貫。ままよ、倒
れるまで突っ走るだけだと過酷なレースを無我夢中でダッシュした。
進むほどに、歩き出したり、コースを外れて倒れ込んでるひとがい
る。それを横目にひたすら歯を食いしばって前だけを見て大地を蹴っ
た。ふと角を曲がって直線の見晴らしのきくところにきたら、二部上
場という第二集団の後ろ姿が見えるではないか。
よくぞここまで、と思わず叫びたくなった。
『ガキの自叙伝』日本経済新聞社より
私はよく企業経営をマラソンに例える。昔はラジオ、今はテレビで
マラソンの実況を聴いたり見たりするのが大好きなのだ。
戦争に負けた日本の企業マラソンレースは昭和20年(1945年)
に再スタートを切った。戦前から長く続く大企業などはいわば有名選
手で、戦後、タケノコのように出てきたヤミ商人らは無名のランナー。
旧財閥系も含め、有名、無名の選手がいっせいに企業戦争という長丁
場のレースを走り出した。
私の京セラは1959年の創業であり、すでに先頭集団がはるか
14キロ先を走っている。そんな時にようやく出発地点に現れたとい
う格好だ。しかも長距離にはまったくの素人が、貧乏でシューズさえ
買えず、地下足袋に股引のみすぼらしい姿である。
これまで一度も走ったことがないのに、いきなり42.195キロ
を完走できるのか。本人にもわからないのだが、闘争心だけは人並み
はずれておう盛だ。出場を決めた以上、全力を尽くそうと悲壮な決意
を固めている。なにしろ、資金なし、人材なしの裸一貫。ままよ、倒
れるまで突っ走るだけだと過酷なレースを無我夢中でダッシュした。
進むほどに、歩き出したり、コースを外れて倒れ込んでるひとがい
る。それを横目にひたすら歯を食いしばって前だけを見て大地を蹴っ
た。ふと角を曲がって直線の見晴らしのきくところにきたら、二部上
場という第二集団の後ろ姿が見えるではないか。
よくぞここまで、と思わず叫びたくなった。
『ガキの自叙伝』日本経済新聞社より