闘争心を燃やす


 仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝つという

姿勢でのぞまなければなりません。

 しかし、勝利を勝ち取ろうとすればするほど、さまざまなか

たちの困難や圧力が襲いかかってきます。このようなとき、私

たちはえてして、ひるんでしまったり、当初抱いていた信念を

曲げてしまうような妥協をしがちです。こうした困難や圧力を

はねのけていくエネルギーのもとはその人のもつ不屈の闘争心

です。格闘技にも似た闘争心があらゆる壁を突き崩し、勝利へ

と導くのです。

 どんなにつらく苦しくても、「絶対に負けない、必ずやり遂

げてみせる」という激しい闘志を燃やさなければなりません。


               『京セラフィロソフィ』より

  人間として何が正しいか

ー京セラフィロソフィの原点ー




 創業当初、私はいかに経営していけばいいのか、何を基準に

判断していけばいいのかわからず困り果ててしまいました。

しかし、どうせ自分は経営を知らないのだからと原点に戻り、

「人間として正しいことなのか、正しくないことなのか」、

「善いことなのか、悪いことなのか」を基準に判断することに

したのです。

 矛盾があったり、理屈に合わなかったり、また一般に持って

いる倫理観やモラル、そういったものに反するような経営では

決してうまくいかないだろうと考えたからです。

 経営の経験はないけれど、正・不正や善・悪などは、最も基

本的な道徳律であり、子どものころから両親や学校の先生に教

えてもらっていたことなどで、私にもよくわかっているという

自身がありました。

 こうして「人間として何が正しいか」という最も基本的なこ

と、つまり「原理原則」を判断基準として経営を始めたのです。


『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』より

運命は自分の心次第


 浮き沈みの激しい人生を送り、自分の運命は自分の手で切り

開いてきたと思える人でも、その山や谷、幸不幸はみんな自分

の心のありようが呼び寄せたものです。自分に訪れる出来事の

種をまいているのはみんな自分なのです。

 たしかに運命というものは、私たちの生のうちに厳然として

存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗いがたい

「宿命」なのではなく、心のありようによっていかようにも変

えていけるものです。運命を変えていくものは、ただ一つ私た

ちの心であり、人生は自分でつくるものです。東洋思想では、

それを「立命」という言葉で表現しています。

 思いという絵の具によって、人生のキャンパスにはその人だ

けの絵が描かれる。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人

生の色彩はいかほどにも変わっていくのです。

             「生き方」サンマーク出版より

原理原則を基準とする



 常に、原理原則を基準として判断し、行動しなければなりません。

 とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動が
 
あってはなりません。常識や経験だけでは、新しいことに遭遇した

場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになる

からです。

 かねてから原理原則に基づいた判断をしていれば、どんな局面

でも迷うことはありません。

 原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれ

るものを基準として、人として正しいことを正しいままに貫いて

いこうということです。人としての道理に基づいた判断であれば、

時間、空間を超えて、どんな環境でも通じていくものです。

そのため、このような判断基準を常に持っている人は、未知の世界

に飛び込んでも、決してうろたえたりはしないのです。

 新しい分野を切り開き、発展していくのは、豊富な経験を持って

いるからではありません。常識を備えているからでもありません。

人間としての本質を見すえ、原理原則に基づいた判断をしているか

らです。

        『心を高める、経営を伸ばす』PHP研究所より

フィロソフィは、

血肉化しなければ意味がない




 こうして私がフィロソフィを説いているのも、皆さんに正しい考

え方を持っていただきたいからです。ただし、それを知識として

「知っている」だけでは意味がありません。行動が伴っていなければ

ならないのです。知識として得たものを血肉化する、つまり、自分の

肉体にしみ込ませ、どんな場合でもすぐにその通りの行動が取れるよ

うにならなければいけません。


 すなわち、正しい考え方を「知っている」だけでは、知らないのと

まったく同じことなのです。自らの血肉とし、人生の節々において、

また、日々の業務においてその考え方を生かすことができなければ、

まったく価値はないのです。だからこそ、私は機会あるごとに同じ

ような話をするのです。

 私の話を聞いて、「何回も同じような話を聞いていますが、毎回

聞くたびにリフレッシュする気がします」と言う方もおられますが、

ほとんどの方は「ああ、それは前に聞きました。もう分かっています」

と言うだけで、それを自分のものにしようとしません。

 私の話を血肉化し、自分の思想、理念、哲学にまで高めていなけ

れば、それはまだ自分の「考え方」にはなっていないのです。

たとえ無意識であっても、その考え方で行動できるようにならなけ

ればいけません。

 フィロソフィの内容を何度も反芻し、皆さんの中で血肉化していく

ように努めていただきたいと思います。


                  『京セラフィロソフィ』より