従業員を幸せにしていくためだけに


 経営者は自分の会社を守って、発展させていく役割があります。

それは何のためかというと、会社の中には従業員がたくさんおり

ますから、従業員の生活を守っていくために会社を守り、かつ

伸ばしていくのです。これこそが経営の目的です。

もっと極端に言いますと、経営者というのは、従業員を幸せに

していくためだけに会社を守り、伸ばしていくという使命を

持っているのです。

それ以外にはないと言ってもいいでしょう。



  『経営者とは 稲盛和夫とその門下生たち』日経BP社刊

世のため人のため


 経営者は、「自分だけよければよい」というみずからの欲望や

自社の損得だけで動くのではなく、「世のため人のため」といった

高邁な精神を基軸としてビジネスを展開していかなくてはならない。

そのような「世のため人のため」という高邁な精神で経営にあたれば、

自己の利益の最大化のみを目指し、利己主義に陥った資本主義の軌道

修正も可能となり、世界経済は調和ある発展を今後も持続できるに

違いない。



 わたし自身の人生を振り返るとき、そのことを強く実感する。

 京セラを創業したときに「みんな一致団結して世のため人のために

なることを成し遂げたい」と誓詞血判した。そして、ファインセラ

ミックスの研究に没頭し、経営と格闘してきた。

 また、「動機善なりや、私心なかりしか」とみずから問うた後に

第二電電(現KDDI)を設立し、「世のため人のため」という思いを

原動力に事業にあたってきた。

 さらに日本航空の再建についても、勝算もないなかで、ただ

「世のため人のため」になればと、これを引き受け、真摯に経営に

取り組んできた。いずれも「世のため人のため」という精神を貫いて

きたからこそ、事業を成功に導くことができたと考えている。

 そのような半世紀以上にわたる自身の経営の歩みを振り返るとき、

経営者にとって最も必要なのは、「世のため人のため」という高邁な

精神をベースにもち、「燃える闘魂」をいかんなく発揮することである

ことを強く思う。

そうしてこそ、ビジネスを通じて、より良い社会を築くことができるのである。


                『燃える闘魂』毎日新聞社刊より

哲学的なものを身につける人生


 私は80歳を越えました。20歳年下の60歳くらいの世代になれば、

青年時代はもっと社会が安定し、経済も良くなっています。

そうした時代では、頭が良くて優秀であれば、大学に入れ、卒業後は

いい会社に入れたでしょう。

 ただそうすると苦難に遭遇していませんから、哲学宗教の勉強と

いってもせいぜい論語をかじった程度だろうと思うのです。

実際、論語を話すことはできても、全然身についていない人が多い。

哲学的なものを身につける人生を送っていないからです。

確固とした素晴らしい人生観、価値観を持って「こういう生き方を

すべきだよ」と部下に説ける人は皆無じゃないかと思う。

 それが私にできるのは、少年時代も青年時代も社会に出てからも、

成長の過程における逆境というものがあり、哲学的なことを模索して、

自分なりに人生観や価値観を構築してきたからです。

そして、そういう哲学的なもので従業員に働きかける経営をしてきた

わけです。当時は「何でこんないっぱい苦労をしないといけないのか」

と恨み節を口にしたこともありましたけれども、今改めて考えてみますと

手を合わせて拝みたくなるくらい素晴らしい逆境を与えてくれたと思い

ますね。

 ですから人間というのは、苦労に直面すればそこから逃げるんじゃなしに、

真正面からそれを受け止めて、成長の糧にしなくちゃいけない。

苦難は受け止め方によってマイナスにもなるし、プラスにもなると思うのです。



      『経営者とは 稲盛和夫とその門下生たち』日経BP社刊より

経営はマラソン


 私はよく企業経営をマラソンに例える。昔はラジオ、今はテレビで

マラソンの実況を聴いたり見たりするのが大好きなのだ。

戦争に負けた日本の企業マラソンレースは昭和20年(1945年)

に再スタートを切った。戦前から長く続く大企業などはいわば有名選

手で、戦後、タケノコのように出てきたヤミ商人らは無名のランナー。

旧財閥系も含め、有名、無名の選手がいっせいに企業戦争という長丁

場のレースを走り出した。

 私の京セラは1959年の創業であり、すでに先頭集団がはるか

14キロ先を走っている。そんな時にようやく出発地点に現れたとい

う格好だ。しかも長距離にはまったくの素人が、貧乏でシューズさえ

買えず、地下足袋に股引のみすぼらしい姿である。

 これまで一度も走ったことがないのに、いきなり42.195キロ

を完走できるのか。本人にもわからないのだが、闘争心だけは人並み

はずれておう盛だ。出場を決めた以上、全力を尽くそうと悲壮な決意

を固めている。なにしろ、資金なし、人材なしの裸一貫。ままよ、倒

れるまで突っ走るだけだと過酷なレースを無我夢中でダッシュした。

 進むほどに、歩き出したり、コースを外れて倒れ込んでるひとがい

る。それを横目にひたすら歯を食いしばって前だけを見て大地を蹴っ

た。ふと角を曲がって直線の見晴らしのきくところにきたら、二部上

場という第二集団の後ろ姿が見えるではないか。

よくぞここまで、と思わず叫びたくなった。


             『ガキの自叙伝』日本経済新聞社より

リーダーに求められる「情」と「理」

 西郷(隆盛)は溢れんばかりの「情」に生き、義を貫いて死ぬことを

選びました。しかし、現実という荒波を乗り越えていくためには、「情」

の要素に加えて、冷徹なほどの「理」の部分がどうしても必要になって

きます。

 西郷と幼なじみで維新をともに成し遂げた、大久保利通はまさに、

その「理」の人でした。また、「理」詰めの人であったからこそ、混乱

した状況の中にあって、新政府の中心に位置し、誕生したばかりの国家

の制度や体制などを構築することが可能であったのでしょう。

 人を魅了してやまない素晴らしい心根を持った西郷の「情」の側面と、

合理的かつ緻密に物事を詰めていく大久保利通の「理」の側面、あると

きは情愛に満ち溢れた優しさ、あるときは泣いて馬謖を斬る厳しさ。

「理」に照らして「情」に生きるような両極端を兼ね備えることこそが、

リーダーに求められる条件ではないでしょうか。


                『人生の王道』日経BP社刊 より